東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)163号 判決
東京都新宿区内藤町一番地の六
原告
松井富貴子
同区新宿一丁目一番一一号
原告
伴寿美江
同区内藤町一番地
原告
武英雄
同区新宿一丁目九番一号
原告
武新十郎
(旧名
利光)
右原告四名訴訟代理人弁護士
鳥越薄
同
服部正敬
東京都新宿区三栄町二四番地
被告
四谷税務署長
増田善三郎
右指定代理人
一宮和夫
同
重野良二
同
梅岡輝男
同
中村誠司
同
鈴木正孝
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた判決
一 原告ら
1 被告が原告四名に対し、昭和四八年一一月二八日付けでした相続税の再更正処分(但し、昭和五一年八月九日付け審査裁決により一部取り消された後のもので、別紙一の〈4〉欄記載の金額を超える部分。)並びに過少申告加算税及び重加算税賦課決定処分(但し、いずれも昭和五一年八月九日付け審査裁決により全部過少申告加算税に変更された後のもの。)を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨。
第二原告らの請求原因
一 原告らは、昭和四五年六月一〇日に死亡した被相続人武新十郎(以下「故新十郎」という。)の子であり、昭和四五年一二月九日別紙一の〈1〉欄のとおり相続税の申告をなし、昭和四六年四月一〇日相続財産の評価の誤りを理由に同〈2〉欄のとおり更正の請求をしたところ、被告は、これを一部認め、昭和四六年五月三一日同〈3〉欄のとおり減額更正をした。ところが、相続開始時点において戸籍上木村恒達とされていた者が、親子関係存在確認の審判及び戸籍訂正許可の審判を経て、昭和四六年八月四日武恒達として相続人の一人に加わるという事態が生じた。そして、昭和四八年四月二日武恒達と原告ら四名との間に遺産分割の調停が成立したので、原告らが同年七月三一日同〈4〉欄のとおり再び更正の請求をしたところ、被告は、原告らの右請求の趣意を認容する一方で、課税価格を大幅に増額し、結局同〈5〉欄のとおりの再更正並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定をした。その後の不服申立ての経緯は同〈6〉欄ないし〈9〉欄のとおりである(同〈9〉欄の審査裁決によって一部変更された後の同〈5〉欄の再更正及び加算税賦課決定を一括して以下「本件処分」という。)。
二 しかしながら、本件相続税に係る原告らの課税価格及び税額は、原告らの昭和四八年七月三一日の更正請求(別紙一の〈4〉欄)のとおりであり、本件処分には課税価格を過大に認定した違法があるから、右更正請求に係る課税価格及び税額を超える部分につき、その取消しを求める。
第三請求原因に対する被告の認否及び主張
(認否)
請求原因一は認め、二は争う。
(被告の主張)
一 申告に係る相続財産の価額
原告らの申告に係る相続財産の価額(原告らの更正請求に基づき被告が昭和四六年五月三一日付けの減額更正において認定した相続財産の価額で積極財産と消極財産を含む。)は、原告松井富貴子(以下「原告富貴子」という。)が二五一四万六二二七円、原告伴寿美江(以下「原告寿美江」という。)が四〇四三万〇九八九円、原告武英雄(以下「原告英雄」という。)が四三六五万七八五八円、原告武利光改め武新十郎(以下「原告利光」という。)が四六二一万八四四二円である。なお、原告利光の分は、積極財産五〇四三万五九五九円から債務四二一万七五一七円を控除したものである。
二 申告漏れ相続財産の価額(分割分)
1 未収利息
故新十郎名義の協和銀行四谷支店及び三井銀行四谷支店の定期預金に係る相続開始時までに生じた利息合計三八万五八一七円である。このうち、原告富貴子は、九万九八二八円を、原告寿美江は九万三〇四七円を、原告英雄は一四万三三七四円を、原告利光は四万九五六八円をそれぞれ相続した。
2 相続開始前三年以内の贈与財産
原告寿美江は、故新十郎から同人が昭和四四年一月二五日に購入し償還期限の到来した日本長期信用銀行第一九四回発行に係る割引長期信用債券(以下「割長一九四回」という。)五〇万円を贈与された(別紙二〈1〉の債券がそれである。)。これは、相続開始前三年以内の贈与だから、相続税法一九条により原告寿美江の課税価格に加算すべきである。
三 申告漏れ相続財産の価額(未分割分)
次の財産は、申告漏れ相続財産であり、未だ遺産分割されていないものである。したがって、相続税法五五条に基づき、原告ら四名に武恒達を加えた五名の共同相続人がその五分の一(民法所定の法定相続分)あてを取得したものとして、各人の課税価格を算出すべきことになる。
1 株式 三万二五〇〇円
明治製革株式会社の株式五〇〇株(一株六五円)である。右株式は、昭和四八年三月二九日現在においても故新十郎が株主として株主名簿に記載されている。
2 未収配当金 八五〇円
昭和四五年五月二九日支払確定の右2の株式に係る未収配当金である。
3 債券 一億一四六七万六九四七円
(一) 別紙二の順号〈2〉ないし〈40〉の債券欄記載の債券(以下「本件債券」と総称し、個々の債券は「〈2〉の債券」等という。)である。別紙二の債券欄の「割商」は商工組合中央金庫発行の割引商工債券、「割不動」は日本不動産銀行発行の割引日本不動産債券、「割長」は日本長期信用銀行発行の割引長期信用債券、「割農」は農林中央金庫発行の割引農林債券、「割興」は日本興業銀行の割引興業債券のことであり、「二三四回」等は発行回数を示し、「五〇〇万円」等は券面額の合計を示す(以下、債券をその種類、発行回数、券面額の合計に応じ「割商二三四回・五〇〇万円」等と表示する。)。
(二) 故新十郎は、別紙二の被相続人の取得欄のとおり、本件債券のうち、〈2〉ないし〈7〉、〈9〉ないし〈17〉の債券は小柳証券株式会社新宿支店(以下「小柳証券」という。)の故新十郎名義の口座で、〈8〉の債券は小柳証券の松井富貴子名義の口座で、〈18〉の債券は小柳証券の上遠野とくみの口座で、〈20〉ないし〈24〉の債券は小柳証券の武利光名義の口座で、〈25〉ないし〈29〉の債券は日本勧業角丸証券株式会社新宿支店(以下「角丸証券」という。)の故新十郎名義の口座で、〈30〉ないし〈37〉の債券は小柳証券の前田和夫名義の口座でそれぞれ購入した。〈19〉、〈33〉ないし〈40〉の債券の購入証券会社及び口座名は明らかでないが、本件債券はすべて故新十郎が購入したものである。
(三) 債券は発行されてから一年後に償還されるところ、本件債券は、いずれも相続開始前一年以内に購入されたものであり、相続開始時には償還期限が到来していなかった。故新十郎は、従来からも償還期限前に債券を中途売却することはなく、本件債券も相続開始時まで保有していた。
(四) なお、本件債券は、別紙二の原告らの償還等の欄のとおり、相続開始後において一部が原告ら名義の口座で償還されている。
(五) 以上のとおり、本件債券は相続財産に属するところ、その価額は別紙三のとおり一億一四六七万六九四七円である。
四 債務控除額
武恒達が民法九一〇条(相続開始後の被認知者の分割請求)に基づき原告ら四名の相続人から合計一四八〇万円を取得することになり、原告らはそれぞれその四分の一である三七〇万円の支払債務を負担した。
五 原告らの各課税価格
1 原告富貴子
一の申告に係る相続財産の価額二五一四万六二二七円に、二1の未収利息九万九八二八円、三1の株式の価額の五分の一の六五〇〇円、三2の未収配当金の五分の一の一七〇円及び三3の債券の価額の五分の一の二二九三万五三八九円を加算し、これから四の債務控除額三七〇万円を減算した四四四八万八一一四円である。
2 原告寿美江
一の申告に係る相続財産の価額四〇四三万〇九八九円に、二1の未収利息九万三〇四七円、二2の贈与財産の価額五〇万円並びに原告富貴子同様の株式の価額六五〇〇円、未収配当金一七〇円及び債券の価額二二九三万五三八九円を加算し、これから四の債務控除額三七〇万円を減算した六〇二六万六〇九五円である。
3 原告英雄
一の申告に係る相続財産の価額四三六五万七八五八円に、二1の未収利息一四万三三七四円並びに原告富貴子同様の株式の価額六五〇〇円、未収配当金一七〇円及び債券の価額二二九三万五三八九円を加算し、これから四の債務控除額三七〇万円を減算した六三〇四万三二九一円である。
4 原告利光
一の申告に係る相続財産の価額四六二一万八四四二円に、二1の未収利息四万九五六八円並びに原告富貴子同様の株式の価額六五〇〇円、未収配当金一七〇円及び債券の価額二二九三万五三八九円を加算し、これから四の債務控除額三七〇万円を減算した六五五一万〇〇六九円である。
5 本件処分の課税価格(別紙一〈9〉欄の課税価格)は以上の課税価格を下回り、本件処分に課税価格過大認定の違法はない。
第四被告の主張に対する原告らの認否
一 原告らの課税価格の算出につき、被告主張の一の申告に係る相続財産の価額に二1の未収利息を加算し、四の債務控除額を減算すべきことは認める。
二 被告の主張二2は否認する。
故新十郎が償還期限の到来した割長一九四回・五〇万円を所持していたことは認めるが、同人はこれを昭和四五年三月に孫の伴恵美子及び伴博之に入学祝として贈与したものであり、原告寿美江に贈与したものではない。
三 被告の主張三1は否認する。
相続財産の中に被告主張の株式は存在しない。
四 被告の主張三2は否認する。
被告が申告漏れと主張する未収配当金八五〇円は、相続開始の日に協和銀行四谷支店の故新十郎名義の預金口座へ振込入金されている。そして、原告富貴子は右預金口座の預金六〇万四七七五円を自己の相続財産として申告している。したがって、未収配当金八五〇円は原告富貴子の相続財産として申告済みであり、申告漏れではない。
五 被告の主張三3は否認する。
1 ただし、〈3〉、〈4〉、〈11〉、〈21〉ないし〈23〉の債券が相続財産であることは認める。しかし、〈3〉、〈11〉、〈21〉、〈22〉の債券は原告利光が相続したものであり、〈23〉の債券は原告英雄が相続したものであり、いずれも未分割の相続財産として原告らに均分して課税されるべきものではない。
2 原告富貴子の夫である松井透は〈9〉の債券を、同原告は〈30〉の債券を別紙二の原告ら償還等欄記載のとおり償還しているが、いずれも故新十郎に購入手続を依頼しただけのもので、同人らの固有財産であり、相続財産ではない。
3 また、別紙二の原告ら償還等欄記載のとおり、原告富貴子は〈2〉、〈6〉、〈8〉、〈16〉、〈19〉、〈20〉、〈38〉と同種の債券を、松井透は〈7〉、〈25〉と同種の債券を、同原告の子である松井昭彦は〈14〉と同種の債券を、同原告の子である松井和子は〈15〉と同種の債券を償還している。
しかしながら、同種の債券(例えば〈2〉の割商二三四回という債券)は何枚も発行されており、一枚一枚の債券は記番号によって特定されているところ、原告富貴子らが右のとおり償還した債券が、被告において相続財産として主張する別紙二の債券と同一のものか否か不明である。
仮に、右両者が同一債券であったとしても、原告富貴子及び松井透が償還したものは、故新十郎に購入を依頼しただけのもので、同原告らの固有財産であり、相続財産ではない。すなわち、右両名は、大量購入による値引サービスを受けるために、自ら購入資金を出損して故新十郎に購入手続を依頼し、購入してもらった債券はその都度故新十郎からこれを受け取り、三井銀行四谷支店の原告富貴子名義の貸金庫に保管していたものである。
更に、松井昭彦及び松井和子が償還したものは、両名が昭和三九年三月に祖父の故新十郎から入学祝として贈与された現金各一〇〇万円を資金に、故新十郎に依頼してその取引口座を通じて債券を購入し、それを乗換えていたものであって、故新十郎に帰属すべき財産ではない。すなわち、右両名は、償還期になると、母の原告富貴子の貸金庫から債券を取り出して故新十郎の許へ持参し、その後数日して故新十郎から乗換え後の新債券と利息相当の現金を受け取ることを繰り返していたのである。そして、相続開始後は、それぞれ小柳証券に自己名義の口座を設けて償還したのである。
4 本件債券のうち、右以外のものは相続財産として存在しない。
被告は、故新十郎が相続開始前一年以内に購入した債券をすべて相続財産と主張するようである。
故新十郎が小柳証券において武新十郎及び武利光名義の口座で債券の売買をしていたことは認める。しかし、仮に、故新十郎が被告主張の債券を購入した事実があったとしても、債券は現金同様のものであって、いったん購入した後にはいつどこででも換金できるものであり、購入証券会社以外の証券会社で換金した可能性があり、相続開始時までに償還があった旨の記録が小柳証券等の購入証券会社にないというだけで、当該債券が償還されずに相続開始時まで保有されていたということはできない。
また、債券は、大量購入すると単価が安くなるため、故新十郎が購入した債券の中には、他人に依頼された分と故新十郎自身の分とをまとめて購入し、依頼された分の債券は購入後依頼者に交付したというものも含まれているのである。
したがって、故新十郎が相続前一年以内に債券を購入した事実があるというだけで、それを相続財産とすることはできない。
更に、被告は、相続開始後に原告ら名義で償還された債券で、故新十郎が生前これを購入した記録のないものまで相続財産であると決め付けているが、その不合理なことは多言を要しない。
無記名の債券については、記番号により債券を特定のうえ、当該債券を被相続人が購入し、相続人が償還したことを明らかにするのでなければ、これを相続財産として課税の対象とすることは許されないというべきであるが、被告は本件債券について右の特定を怠っている。
第五証拠関係
一 原告ら
1 甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし一二、第一六号証、第七号証の一ないし一三
2 証人手塚将和の証言、原告松井富貴子、同伴寿美江(第一、第二回)、同武英雄、同武新十郎の各本人尋問の結果
3 乙第一八、第一九、第三六、第四一、第四八、第五六号証の各官署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は不知。乙第一、第二号証、第四三号証の一、二の各成立及び乙第二八、第二九号証の各原本の存在と成立はいずれも不知。乙第三ないし第一〇号証、第一一号証の一、二、第一六、第一七、第二〇、第二一、第二四号証、第二五号証の一、二、、第二七、第三〇、第三一、第三五号証の各原本の存在と成立及びその余の甲号各証の成立はいずれも認める。
二 被告
1 乙第一ないし第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二ないし第二四号証、第二五号証の一、二、第二六ないし第三二号証、第三三号証の一ないし二五、第三四号証の一ないし八、第三五ないし第四二号証、第四三号証の一、二、第四回ないし第五八号証
2 証人中村誠司の証言、原告松井富貴子、同武英雄の各本人尋問の結果
3 甲第五号証の二、第七号証の一ないし一三の各原本の存在と成立はいずれも不知。その余の甲号各証の成立(甲第五号証の一及び三ないし一二、第六号証について原本の存在を含む。)はいずれも認める。
理由
一 請求原因一の課税の経緯は当事者間に争いがない。
そこで、本件処分に課税価格を過大に認定した違法があるか否かを順次検討する。
二 原告らの課税価格の算出につき、被告主張一の申告に係る相続財産の価額に、同二1の未収利息を加算し、同四の債務控除額を減算すべきことは、当事者間に争いがない。
三 そこで、まず、被告の主張二2の相続開始前三年以内の贈与財産について検討する。
1 故新十郎が償還期限の到来した割長一九四回・五〇万円を所持していたことは、当事者間に争いがない。
被告は、故新十郎が右債券を原告寿美江に贈与したと主張するのに対し、同原告は、故新十郎が右債券を同原告の子の伴恵美子及び伴博之に入学祝として贈与したと主張する。
2 原本の存在と成立に争いのない乙第三、第九号証、乙第一一号証の一、二、成立に争いのない乙四五号証によれば、故新十郎が昭和四四年一月二五日に小柳証券の自己名義の口座で割長一九四回を二五〇万円購入したこと、割長一九四回の償還期限は昭和四五年一月二九日であること、同人は同日右口座で右二五〇万円のうち二〇〇万円を償還しているが、残り五〇万円を償還した形跡がないこと、他方、原告寿美江は同年三月一一日三洋証券株式会社(当時は日東証券株式会社。以下「日東証券」という。)の同原告名義の口座で割長一九四回・五〇万円を償還していること、同原告は右償還金五〇万円のうちの一〇万四六九六円を現金で受け取り、残金三九万五三〇四万円で同月一三日に割長二〇八回を四二万円購入していること、また、同原告は昭和四六年三月二三日に日東証券の自己名義の口座で割長二〇八回・四二万円を償還し、これを自己の信用取引口座の資金に振り替えていることが認められる。以上の事実によれば、原告寿美江が昭和四五年三月一一日日東証券の同原告名義の口座で償還した割長一九四回・五〇万円は故新十郎から贈与されたものであることが明らかであり、また、同原告は同償還金のうち一〇万四六九六円を現金で受け取り、残りで割長二〇八回・四二万円を購入の上、その償還金を自己の信用取引口座の資金に振り替えているのであって、故新十郎から割長一九四回・五〇万円の贈与を受けたのは同原告というべきである。
すなわち、原告寿美江は、昭和四五年一月二九日から同年三月一一日までの間に、故新十郎から割長一九四回・五〇万円の贈与を受けたものであり、相続開始前三年以内の贈与としてその評価額五〇万円を同原告の課税価格に加算すべきである。
原告寿美江は、本人尋問(第一回)において、割長一九四回・五〇万円の贈与を受けたのは同原告の子である伴恵美子及び伴博之である旨供述するが、右償還金の流れに照らしたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
四 次に、被告主張三1の株式三万二五〇〇円について検討するに、証人中村誠司の証言により成立を認める乙第一号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第一六、第一七号証によれば、故新十郎が相続開始時に明治製革株式会社の株式五〇〇株を所有していたこと、相続開始時における同株式の価額は合計三万二五〇〇円(一株六五円)であったことが認められ、これに反する証拠はない。そして、成立に争いのない乙第二三号証と弁論の全趣旨によれば、右株式は相続財産として申告されていなかったと認められるから、これを課税価格に加算すべきである。しかも、原告ら相続人が右株式を分割したことをうかがわせる証拠もないので、右株式は未分割の相続財産というべきである。
したがって、相続税法五五条に基づき、原告ら四名に武恒達を加えた五名の共同相続人が右株式を民法所定の法定相続分である五分の一すなわち六五〇〇円あて取得したものとして、原告ら各人の課税価格を算出すべきことになる。
五 更に、被告主張三2の未収配当金八五〇円について検討するに、被告は、四の株式に係る配当金八五〇円も申告漏れの未分割の相続財産であると主張する。
確かに、四の認定事実と証人中村誠司の証言により成立を認める乙第二号証によれば、右株式についての昭和四五年五月二九日支払確定の配当金八五〇円(税引後)も相続財産であると認められる。しかし、右乙第二号証及び前掲乙第二三号証によれば、右配当金は相続開始当日の昭和四五年六月一〇日に協和銀行四谷支店の故新十郎の預金口座に振込入金されたところ、原告らは、同支店の故新十郎の普通預金を相続財産として申告していることが認められるので、右配当金は右普通預金口座に入金された後に、預金債権に形を変えて既に申告済みとなっている可能性が多分にある。したがって、右配当金を申告漏れと認めることができないので、これを課税価格に加算することはできない。
六 最後に、被告主張三3の債券一億一四六七万六九四七円について検討する。
1 本件債券のうち〈3〉、〈4〉、〈11〉、〈21〉ないし〈23〉の債券が相続財産であることは、当事者間に争いがない。
2 前掲乙第三、第四五号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第四、五号証、成立に争いのない乙第一二、第四四、第四九、第五五号証、官公署作成部分の成立に争いがなく、証人中村誠司の証言によりその余の部分の成立が認められる乙第一九、第四八、第五六号証、証人手塚将和、同中村誠司の各証言によれば、故新十郎は、〈2〉、〈5〉ないし〈10〉、〈12〉ないし〈18〉、〈20〉、〈24〉ないし〈37〉の債券を、別紙二の被相続人の取得欄記載の年月日に、同欄記載の証券会社の同欄記載の名義人の取得欄記載の年月日に、同欄記載の証券会社の同欄記載の名義人の取引口座で購入したことが認められる(ただし、〈34〉の債券の購入年月日は昭和四四年七月二五日及び同月二六日、〈37〉の債券の購入年月日は同年九月一三日、同月二九日及び同月三〇日である。また、故新十郎が小柳証券の武新十郎及び武利光名義の口座で債券を購入していたことは当事者間に争いがない。)。ところで、個々の債券には当該債券に固有の番号として記番号が付されているところ、右の証拠によると、右に掲げた債券の一部の記番号は、別紙二の記番号欄記載のとおりであることが認められる。そして、右の記載以外の記番号は明らかでないが、一定数額の債券の存在が認められる以上、記番号による特定を欠いても、これを相続財産として課税の対象とすることに何ら妨げはないというべきである。そこで、右に掲げた債券が相続財産を構成するか否かを検討する。
3 2掲記の債券は、故新十郎が購入したものであるから、特段の事情がない限り故新十郎の財産と認めるべきものであるところ、原告らは、これらの債券のうちには、故新十郎が他人から購入手続を依頼されたものも含まれており、殊に〈9〉の債券は原告富貴子の夫の松井透の固有財産、〈30〉は同原告の固有の財産であり、また、〈2〉、〈6〉、〈8〉、〈16〉、〈20〉の債券が同原告において、〈7〉、〈25〉の債券が松井透において、〈14〉の債券が同原告の子の松井昭彦において、〈15〉の債券が同原告の子の松井和子において、それぞれ償還した債券と同一物であるとして、これらはいずれも同人らの固有財産である、と主張する。
(一) 松井透が〈9〉の債券を、原告富貴子が〈30〉の債券を別紙二の原告らの償還等欄記載のとおり償還したことは、当事者間に争いがない。
そして、原告富貴子が別紙二の〈2〉、〈6〉、〈8〉、〈16〉、〈20〉と同種の債券を、松井透が〈7〉、〈25〉と同種の債券を、松井昭彦が〈14〉と同種の債券を、松井和子が〈15〉と同種の債券を右欄記載のとおり償還したことは、原告らの自認するところであるが、前掲乙第四五号証により、原告富貴子は〈6〉の債券そのものを償還していることが明らかであり、その余の償還債券も、これを故新十郎を通じ購入したものであることは原告らの自認するところであり、かつ、種類、発行回数及び金額が一致しており、反対証拠もない以上、右償還債券は〈2〉、〈7〉、〈8〉、〈14〉ないし〈16〉、〈20〉、〈25〉の債券そのものと認めるのが相当である。
(二) (一)掲記の債券が、仮に原告ら主張どおり故新十郎に購入手続を依頼したにすぎないものとすれば、原告富貴子及びその夫の松井透は、昭和四四、四五年ころに少なくとも券面額合計二一〇〇万円に達する債券(〈2〉、〈6〉ないし〈9〉、〈16〉、〈20〉、〈25〉、〈30〉の債券)を購入するだけの資金を有していたとしなければならない。しかし、前掲乙第四八号証及び原告富貴子本人尋問の結果によれば、同原告の夫はサラリーマンであり、同原告自身も商売をしているわけではなく、株の配当と家賃収入があるという程度であり、その家賃収入も全額同原告に帰属したかどうか疑わしいことが認められ、そのような大量の債券を運用する資金があったと考えるのは困難である。そして、原告らは、右資金の存在について具体的な立証を行っていない。
かえって、前掲乙第三ないし第五号証、乙第四九号証によれば、〈2〉、〈6〉ないし〈9〉、〈16〉、〈20〉の債券の購入資金の大部分は、故新十郎が従前から購入していた債券の償還金であることが認められ、少なくともこれらの債券は故新十郎の資金で購入されたと認める方が自然である。
また、成立に争いのない乙第一三号証によれば、松井透は被告に対し、債券の取引をした覚えはない旨の書面を提出していることが認められ、原本の存在及び成立に争いのない乙第二四号証によれば原告富貴子は相続開始後の昭和四五年八月になって有価証券の保護預りを始めていることが認められ、同原告及び松井透は、本件相続の開始によって初めて右債券を入手したと認めるのが相当である。
(三) そもそも、債券はその購入償還が容易であって特別の知識を要せず、また、財産の運用は親子の間でも生計を異する場合は互に秘するのが一般であるから、原告富貴子らが債券の購入を故新十郎に依頼したというからには、それ相当の理由が存じなければならない。この点につき、原告らは、故新十郎の購入分と合わせて一括大口購入をすれば値引きが得られると主張する。
確かに、前掲乙第三ないし第五号証、乙第九、第四九、第五五号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証の一、三ないし一二、乙第一〇号証及び証人手塚将和の証言によれば、昭和四四、四五年当時、証券会社に債券を大口注文すれば、債券一万円につき二〇〇円程度の値引きを得られた場合があり、〈2〉、〈8〉(一部)、〈9〉、〈20〉、〈25〉、〈30〉の債券については値引きを受けていることが認められる。しかし、原告富貴子らが少なくとも二一〇〇万円の債券を運用しているというのであれば、故新十郎に一括購入を依頼するまでもなく独自に値引きを受けられたのであり、特に〈2〉の債券はそれのみで五〇〇万円という大口購入であるから、故新十郎に購入を依頼する必要のないことが明らかである。しかも、右証拠によると、〈6〉、〈7〉、〈16〉の債券については、値引きが行われていないことが認められる。したがって、原告らの右主張にも首肯し難い。
(四) 次に、原告らは、〈14〉、〈15〉の債券については、松井昭彦及び松井和子が昭和三九年三月に祖父の故新十郎から入学祝として贈与された現金各一〇〇〇万円を資金に、故新十郎に依頼してその取引口座を通じて債券を購入し、それを乗換えていたものである、と主張する。
しかし、前掲乙第三号証、甲第五号証の一、八によれば、〈14〉、〈15〉の債券は、故新十郎が、昭和四五年三月三一日に小柳証券の自己名義の口座で、他の債券からの乗換えではなく現金によって購入したこと、しかも、右購入に際し値引きも行われていないことが認められ、右債券も同人が自己の資金で購入したものと認めるのが相当である。
(五) そして、2掲記の債券のうち(一)ないし(四)で触れた以外のものについては、原告らにおいて単に抽象的に第三者による故新十郎への購入依頼の可能性がある旨を指摘するだけで、これを認めるに足りる具体的な証拠はないのである。なお、原告利光は、本人尋問において購入依頼者の氏名を挙げるが、客観的な裏付けを欠き措信し難い。
かえって、前掲乙第三、第五、第四九、第五五号証によると、〈5〉、〈10〉、〈12〉、〈13〉、〈17〉、〈18〉、〈24〉、〈26〉ないし〈28〉、〈34〉ないし〈36〉の債券の購入資金の大部分は、故新十郎が従前から購入していた債券の償還金であることが認められるのである。
(六) そうすると、結局、2掲記の債券は、すべて故新十郎が自己の資金で購入したものと認むべく、原告富貴子の本人尋問及び乙第三五号証における供述並びに証人手塚将和の証言のうち右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
4 次に、故新十郎は、2掲記の債券を相続開始時まで保有していたか否かについて検討する。
(一) 〈2〉、〈6〉ないし〈16〉、〈20〉、〈25〉、〈30〉の債券は、前記のとおり相続人たる原告富貴子及びその家族が相続開始後に償還しているのであるから、故新十郎はこれを相続開始時まで保有していたと認めるのが相当である。
(二) 成立に争いのない乙第五三、第五四号証によると、原告英雄は、昭和四六年三月二五日日興証券株式会社新宿伊勢丹支店において、割不動一三八回・三〇〇万円を償還したことが認められる。
ところで、原告らは〈4〉、〈23〉の債券が相続財産であることを認めているところ、右証拠及び原告英雄本人尋問の結果によると、同原告はこれらの債券も右証券会社で償還していること、同原告の取引証券会社は右証券会社のみであるが、右証券会社の帳簿には同原告が割不動一三八回・三〇〇万円を購入した記録がないことが認められ、これらの事実を総合すれば、同原告が償還を受けた割不動一三八回・三〇〇万円は〈10〉の債券と認められる。そして、相続人たる同原告が相続開始後に償還している事実からすれば、故新十郎は〈10〉の債券も相続開始時まで保有していたものと認めるのが相当である。
(三) 成立に争いのない乙第三九、第四六号証、官公署作成部分の成立に争いがなく、証人中村誠司の証言によりその余の部分の成立が認められる乙第四一号証によると、原告利光は、千代田証券株式会社新宿営業所の田中光孝名義の口座を使用し、昭和四六年四月一二日に割不動一三八回・二〇〇万円を償還し、同年五月一一日及び一九日に割興三四七回・三〇〇万円を一部中途売却、一部償還したことが認められる。
ところで、原告らは〈3〉、〈11〉、〈22〉の債券が相続財産であることを認めているところ、右証拠及び前掲乙第一二号証によると、原告利光はこれらの債券も右口座で償還又は中途売却していること、同原告自身は相続開始前は債券を購入したことがないことが認められ、これらの事実を総合すれば、同原告が右のとおり償還又は中途売却した割不動一三八回・二〇〇万円、割興三四七回・三〇〇万円は〈12〉、〈26〉の債券と認められる。そして、相続人たる同原告が相続開始後に償還又は中途売却している事実からすれば、故新十郎は〈12〉、〈26〉の債券も相続開始時まで保有していたものと認めるのが相当である。
(四) 前掲乙第一一号証の二によると、原告寿美江は、昭和四六年五月二九日日東証券において、割興三四七回・三〇万円を償還したこと、しかし同原告が同債券を購入し、したがって、原告寿美江が償還した割興三四七回・三〇万円は〈27〉の債券と認められ、相続人たる同原告が相続開始後に償還している事実からすれば、故新十郎は〈27〉の債券も相続開始時まで保有していたものと認めるのが相当である。
(五) 2掲記の債券のうち〈5〉、〈13〉、〈17〉、〈18〉、〈24〉、〈28〉、〈29〉、〈31〉ないし〈37〉の債券については、原告ら又はその家族が償還又は中途売却したことを認むべき的確な証拠はない。しかし、その購入年月日、前掲乙第九、第一〇号証及び弁論の全趣旨に照らし、これらの債券は相続開始時にはいずれも償還期限が未到来であったことが認められるから、故新十郎は相続開始時にはこれらの債券を保有していたものと認めるのが相当である。
原告らは、この点に関し、故新十郎が償還期限前において中途売却した可能性のあることを指摘する。
しかし、前掲乙第三、第四五号証によると、故新十郎は小柳証券における取引に関する限り債券をすべて償還期限後に償還しており、中途売却したことのないことが認められる。そして、故新十郎は昭和四五年五月一九日に〈26〉、〈27〉、〈28〉の債券を合計一五七〇円購入しているのであるから、それ以前に債券を中途売却するということは考えられない。
また、証人手塚将和の証言によると、債券を償還する場合は手数料の支払を要しないが、償還期限前に中途売却する場合は手数料を支払わなければならないことが認められるから、中途売却は資金の必要に迫られる等特別の事情がある場合に限って行われるのが通常といえよう。しかし、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第二一、第三〇、第三一号証、原告寿美江本人尋問(第一回)の結果により原本の存在及び成立が認められる乙第二八、第二九号証、官署作成部分の成立につき争いがなく、証人中村誠司の証言によりその余の部分の成立が認められる乙第三六号証、成立に争いのない乙第四七号証、前掲乙第四八号証並びに証人手塚将和の証言及び原告富貴子、同寿美江(第一回)、同英雄、同利光の各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。すなわち、故新十郎は、かなりの資産家で、死亡するまで株式会社武シート商会の代表者を勤めていたが、死亡する二年程前の昭和四三年ころに脳出血の発作を起こして倒れたことがあり、老齢のせいもあって血圧が比較的高く、糖尿病にもかかっていたこと、そのため、故新十郎は、昭和四四年一月三日から同月末までは熱海の大月ホテルで、同年六月二〇日から同年七月二〇日までは長野県鹿教湯温泉の斉藤旅館で、同月二五日から同年八月二五日までは群馬県の四万温泉で、それぞれ療養し、同年一二月二一日から翌昭和四五年二月二八日までは国立熱海病院に入院し、更に同年六月四日に慶応病院に入院し、八一歳の誕生日に当たる同月一〇日に脳軟化症のため同病院で死亡したこと、右三か所の温泉での療養費用は合計約八五万円、国立熱海病院の入院費用は約三〇万円であったが、それらは故新十郎が役員報酬等の手持の現金で支払ったこと、また、慶応病院の入院費用は約二〇万円であったが、これは、故新十郎の死亡時には未払いであって、原告ら相続人が相続債務として負担していること、更に、故新十郎は昭和四五年春に叙勲を受け、その祝賀パーテイーが同年六月一〇日に予定されていたところ、右パーテイーは同人の死を秘したまま挙行され、その開催費用に約四〇万円記念品代に二五万円を要したこと、しかし、右祝賀パーテイー開催費用と記念品代は故新十郎が慶応病院に入院する前に払い戻した同人の普通預金の中から支払われたこと、故新十郎は生前長野県の善光寺に香炉を寄附したが、この関係で生前に支払った金額は五〇万円であったこと、以上のほかに故新十郎が大口の資金を要した形跡はないこと、以上の事実が認められ、故新十郎が死亡前一年以内に債券の中途売却までしなければならないような大口の資金需要はなかったといわなければならない。
したがって、故新十郎は冒頭掲記の債券も相続開始時まで保有していたと認めるのが相当である。
(六) そうすると、結局、故新十郎は2掲記の債券を相続開始時まですべて保有していたものと認むべく、これらの債券は1掲記の債券と共に相続財産を構成するものというべきである。
ところで、故新十郎が購入した1及び2掲記の債券の券面額を合計すると一億一二七〇万円になるところ、原告らは当初相続財産として債券の存することを全面否認し、その本人尋問においても故新十郎固有の債券は存しなかった旨供述している。原告らは、その後、右債券のうち一一〇〇万円について相続財産であることを認めるに至ったが、それでも全体の一割に満たないのである。もし、原告らの主張に沿うとすれば、残りの約一億円の債券は、故新十郎がもともと他人に頼まれて購入したか、あるいは死亡前約一年間の間に処分したことになるが、そのようなことがおよそあり得ないことは、これまで述べてきたところから明らかというべきである。そして、前掲乙第四八、第五六号証、官公署作成部分の成立に争いがなく、証人中村誠司の証言によりその余の部分の成立が認められる乙第一八号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第二〇、第二七、第三五号証、成立に争いのない乙第三三号証の二二、二三、乙第三四号証の八並びに原告富貴子本人尋問の結果(一部)を総合すると、故新十郎は購入した債券を自宅の金庫及び三井銀行四谷支店の貸金庫に保管していたこと、原告富貴子は単独で右両金庫を開扉できる立場にあり、故新十郎が慶応病院入院中の昭和四五年六月八日には単独で右貸金庫を開扉し、同時に右銀行の同原告自身の貸金庫も開扉していること、なお同原告は同月二日に右銀行の故新十郎の普通預金口座から一〇〇万円の払戻しを受けていることが認められる。ところが、右証拠によると、原告富貴子は、昭和四九年九月六日の東京国税不服審判所係官の質問に対し、故新十郎の貸金庫の鍵は同人の死亡後同人のたんすの中から立合の席で発見された旨、昭和五〇年八月二八日の同係官の質問に対しては、故新十郎の生前同人の貸金庫を開扉したことはなく、同人の死亡当日祝賀パーテイに必要な現金を調達するため右貸金庫を開扉したが現金がなかったため、自己の貸金庫を開扉して現金を調達した旨、当裁判所の本人尋問においては、昭和四五年六月八日に故新十郎と二人で同人の右貸金庫を開扉した旨、いずれも虚偽の供述をしている。六月八日の件に関し、慶応病院で故新十郎に付き添っていた後藤時よは、乙第四八号証で故新十郎は死亡する三日前から寝たきりで食事もできない状態であったと供述しているところ、後藤時よの供述の方が客観的事実に適合し信用できることは多言を要しないところである。このように、原告富貴子が貸金庫の開扉につき明らかに虚偽の供述をしていること、前述のとおり原告らが相続開始後に債券の償還等をしていること、そして債券の存在に関する原告らの主張に変遷のあることに徴すれば、原告らは相続開始後前記債券を入手しているものと認められ、これに反する原告らの各本人尋問における供述は措信できない。
5 ところで、1及び2掲記の債券は、原告らにおいて相続開始後に償還等をしていることがうかがえるが、前掲乙第一九、第二三号証、原告らの各本人尋問の結果によれば、右債券は遺産分割の対象とはされていないことが認められる。したがって、右債券は未分割の相続財産というべきであり、相続税法五五条に基づき原告らが各五分の一あて取得したものとしてその課税価格を計算すべきである。
6 そこで、右債券の価額を検討するに、前掲乙第九、一〇号証と弁論の全趣旨によれば、相続開始時点における右各債券の評価額は、各債券の最終発行日の価額に、最終発行日(初日不算入)から相続開始日までの経過利回りを加算して算出されること、そして、最終発行日の価額は、券面額に税込後の割引率を乗じて算出され、値引きや購入日の異同による現実の購入価額に左右されないこと、したがって、相続財産と認めるべき右各債券の相続開始時の評価額は別紙三の対応する債券の欄のとおりに算出されること、その合計評価額は一億〇九一七万五七一七円となることが認められる。したがって、各原告は右評価額の五分の一である二一八三万五一四三円あてを取得したものとして、その課税価格を算出すべきである。
7 なお、〈19〉、〈38〉ないし〈40〉の債券も相続財産である可能性が強いが、後記のとおりその正否は結論に影響を与えないので、判断を留保する。
七 そうすると、各原告の課税価格は次のとおりになる。
1 原告富貴子の課税価格は、申告分二五一四万六二二七円、未収利息九万九八二八円、四の株式分六五〇〇円及び六の債券分二一八三万五一四三円の合計額から、債務控除額三七〇万円を減算した四三三八万七六九八円となる。
2 原告寿美江の課税価格は、申告分四〇四三万〇九八九円、未収利息九万三〇四七円、三の贈与財産分五〇万円、四の株式分六五〇〇円及び六の債券分二一八三万五一四三円の合計額から、債務控除額三七〇万円を減算した五九一六万五六七九円となる。
3 原告英雄の課税価格は、申告分四三六五万七八五八円、未収利息一四万三三七四円、四の株式分六五〇〇円及び六の債券分二一八三万五一四三円の合計額から、債務控除額三七〇万円を減算した六一九四万二八七五円となる。
4 原告利光の課税価格は、申告分四六二一万八四四二円、未収利息四万九五六八円、四の株式分六五〇〇円及び六の債券分二一八三万五一四三円の合計額から、債務控除額三七〇万円を減算した六四四〇万九六五三円となる。
5 したがって、これらを下回る別紙一の〈9〉欄の金額を各原告の課税価格とする本件処分に課税価格過大認定の違法はない。
八 よって、原告らの本件請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 泉徳治 裁判官 大藤敏 裁判官 岡光民雄)
別表一 課税経過等一覧表
〈省略〉
別表二
〈省略〉
(注)番号欄の番号1,4ないし19は被告準備書面(三)の別表二、(四)の別表一及び(五)の別表一の番号であり、番号20ないし29は被告準備書面(六)の別表一の番号である。番号2,3は欠番であるが、これはこの分が番号21のものへ乗り換わっていることが後日判明したためである。
〈省略〉
別紙三 債券の評価額
No.1
〈省略〉
(注1) 番号欄の番号は別紙二の注記載のとおり。
(注2) 摘要欄の〈2〉ないし〈40〉は別紙二の順号欄の〈2〉はいし〈40〉と共通である。
No.2
〈省略〉